最近
「心理学講座」
が巷で大変に流行している。
私は心理学講座(資格つき)を受講したことは一切ない訳だが、
それ系学科に学生時代所属していただけに
「心理学」
という言葉の認識が、巷の講座を受講した多くの方たちとズレがあって
大変に困ったさんモードなのである。
学生時代の心理学マニアトークといえば
「エディプスコンプレックスって、案外男尊女卑的な発想な気がするよね」
「フロイトは何でもピー(←伏せ字(笑))で、変態かと思うわ」
な、感じ。
つまり「学」とつくだけに「学問」なので
どこぞの誰それさんが、どのような仮説を立て、
どういった研究で検証をし、考察したのか。
みたいな話になる訳だ。
微妙に事実検証範囲を広げる際には、細心の注意を払い、
文献からやりたい研究近似値を探して
かつての偉人が研究した結果にプラスちょっとのオリジナルを加えて
仮説を立て、検証して明らかにするような
マヂで匍匐前進的な研究を重ねていくのが
私にとっての「心理学」なんだよね。
「心理学では、相談者に対して、自分の意見を言わないのよ」
と言われると、
かなりの「心理学」という言葉の認識にズレを感じる。
私に言わせれば
そいつはカウンセリングハウツーにおける基本的な行為であって、
心理学ではない。
この違和感は
「医学では、聴診器を使います」
という違和感に似ている。
違うよね?
「診察では、聴診器を使います」
だよね?
ある占いの手法に対して
「○○療法に似たアプローチだよね」
という私と
「心理学でも似たことをするの」
という人とでは
明らかに「心理学」という言葉の認識にズレがある。
ちなみに
私は療法の名前をやたら知ってる訳でもないし
仮に知っていても聞き手は知らないケースが多いから、
正しい表現が見つからず
「心理学的な〜」
と、表現することも結構ある。
「医学的な切り口だよね」
みたいなモンやろうか。
かなりの逃げだけど
私が浅学だから仕方ない。
色々な方たちの話を聞くにあたり
何故こんな誤解が生まれたのかというと、ちょっと紐解けてきた。
「心理学講座」
「心理学公演」
「心理学講習」
と銘打たれているそれらの中身は
「心理学の研究結果を元に、気楽にお使い頂ける日常使用レベルにまで落とし込んだ、日常に使用可能な簡易カウンセリングのハウツー」
であるからだろうか?
受講した方たちは
中で学んだことを、銘打たれた
「心理学という名前のものである」
という誤認をするんだな。
まあ
そう考えると、そうそう誰が悪いという訳でもないんだけどさ……
ほんでも、ね?
こんだけ出回ると
受講者と接した方たちの不満も耳にすることがあって
「心理学を学んだ人たちは、誘導的で断定的な話し方をするから嫌だ」
もうね
「心理学」が可哀想。
本当に、可哀想。
だから
「心理学」のためにも、誤認を訂正したい。
カウンセリングハウツーと
心理学は
違うんだよ〜(涙)。
って。
まあね
そもそも
「断定的で誘導的だ」
と感じられた段階で、既にカウンセリングとしても失敗なんだけど
こいつは、
話し手が単純にカウンセリングではなく、単なる会話をしていたのに過ぎないのに、
つい心理学講座を学んでいただけに無意識にも半端に手法を使用してしまい
受け手が勝手に
「カウンセリングを受けている」
と、別枠の課金もされていないのに勝手に思い込み、
単なる会話において、まるめこまれた不満感を
「心理学を学んでいるから」
ということのせいにしてしまって
私に言った可能性も考えられるけどね。
そしたら
私だから良いけど
多分そういう人は他にも言うのだろうから
何も知らない人は、心理学というもののオカシイ情報を植え付けられてしまうではないか、と。
まあ
起きた問題じたいは、別人(絡みのない第三者)がカウンセリングのハウツーを駆使して紐解く問題な訳だけど
そいつは別にして
誤解しないで〜(涙)
と私は思う。
可哀想だ
本当に可哀想だ!
「心理学」が可哀想だ!
まあ
私がどこまで心理学を知ってるんかと言われると
浅学なのでまだまだ至りませんけれどもね?
でも
もう一度書こう
「医学では、一番最初に患者さんに詳しく病状の確認をとります」
という表現は
やっぱり、おかしいでしょ?
それと一緒だよ〜(涙)
「心理学講座」
が巷で大変に流行している。
私は心理学講座(資格つき)を受講したことは一切ない訳だが、
それ系学科に学生時代所属していただけに
「心理学」
という言葉の認識が、巷の講座を受講した多くの方たちとズレがあって
大変に困ったさんモードなのである。
学生時代の心理学マニアトークといえば
「エディプスコンプレックスって、案外男尊女卑的な発想な気がするよね」
「フロイトは何でもピー(←伏せ字(笑))で、変態かと思うわ」
な、感じ。
つまり「学」とつくだけに「学問」なので
どこぞの誰それさんが、どのような仮説を立て、
どういった研究で検証をし、考察したのか。
みたいな話になる訳だ。
微妙に事実検証範囲を広げる際には、細心の注意を払い、
文献からやりたい研究近似値を探して
かつての偉人が研究した結果にプラスちょっとのオリジナルを加えて
仮説を立て、検証して明らかにするような
マヂで匍匐前進的な研究を重ねていくのが
私にとっての「心理学」なんだよね。
「心理学では、相談者に対して、自分の意見を言わないのよ」
と言われると、
かなりの「心理学」という言葉の認識にズレを感じる。
私に言わせれば
そいつはカウンセリングハウツーにおける基本的な行為であって、
心理学ではない。
この違和感は
「医学では、聴診器を使います」
という違和感に似ている。
違うよね?
「診察では、聴診器を使います」
だよね?
ある占いの手法に対して
「○○療法に似たアプローチだよね」
という私と
「心理学でも似たことをするの」
という人とでは
明らかに「心理学」という言葉の認識にズレがある。
ちなみに
私は療法の名前をやたら知ってる訳でもないし
仮に知っていても聞き手は知らないケースが多いから、
正しい表現が見つからず
「心理学的な〜」
と、表現することも結構ある。
「医学的な切り口だよね」
みたいなモンやろうか。
かなりの逃げだけど
私が浅学だから仕方ない。
色々な方たちの話を聞くにあたり
何故こんな誤解が生まれたのかというと、ちょっと紐解けてきた。
「心理学講座」
「心理学公演」
「心理学講習」
と銘打たれているそれらの中身は
「心理学の研究結果を元に、気楽にお使い頂ける日常使用レベルにまで落とし込んだ、日常に使用可能な簡易カウンセリングのハウツー」
であるからだろうか?
受講した方たちは
中で学んだことを、銘打たれた
「心理学という名前のものである」
という誤認をするんだな。
まあ
そう考えると、そうそう誰が悪いという訳でもないんだけどさ……
ほんでも、ね?
こんだけ出回ると
受講者と接した方たちの不満も耳にすることがあって
「心理学を学んだ人たちは、誘導的で断定的な話し方をするから嫌だ」
もうね
「心理学」が可哀想。
本当に、可哀想。
だから
「心理学」のためにも、誤認を訂正したい。
カウンセリングハウツーと
心理学は
違うんだよ〜(涙)。
って。
まあね
そもそも
「断定的で誘導的だ」
と感じられた段階で、既にカウンセリングとしても失敗なんだけど
こいつは、
話し手が単純にカウンセリングではなく、単なる会話をしていたのに過ぎないのに、
つい心理学講座を学んでいただけに無意識にも半端に手法を使用してしまい
受け手が勝手に
「カウンセリングを受けている」
と、別枠の課金もされていないのに勝手に思い込み、
単なる会話において、まるめこまれた不満感を
「心理学を学んでいるから」
ということのせいにしてしまって
私に言った可能性も考えられるけどね。
そしたら
私だから良いけど
多分そういう人は他にも言うのだろうから
何も知らない人は、心理学というもののオカシイ情報を植え付けられてしまうではないか、と。
まあ
起きた問題じたいは、別人(絡みのない第三者)がカウンセリングのハウツーを駆使して紐解く問題な訳だけど
そいつは別にして
誤解しないで〜(涙)
と私は思う。
可哀想だ
本当に可哀想だ!
「心理学」が可哀想だ!
まあ
私がどこまで心理学を知ってるんかと言われると
浅学なのでまだまだ至りませんけれどもね?
でも
もう一度書こう
「医学では、一番最初に患者さんに詳しく病状の確認をとります」
という表現は
やっぱり、おかしいでしょ?
それと一緒だよ〜(涙)