私はたぶん、ちょっと変わっているんだと思う。


「人を癒したい」


とか、思って占いをしていないから。

よく、占いをする人で、
「人を癒したい。だから、占いをしている」
「人を助けたい。だから、占いをしている」

という人がいる。


私はおかしなお話って思う。
人を癒したいと思っているなら、あえて占いをチョイスする必要はない。

接客だろうが販売だろうが、(人と接することのないホワイトカラーは難しいけど)

癒したい

と思うなら、その願いは達成される。
よく、考えてほしい。


占いをしていたら、人を救えるわけでも、
占いをしていたら、人を癒せるわけでも

ないって事を。

占いというツールを選択したのは、単に私の場合は「好きだから」

めちゃんこ、好きだから。


癒されたと感じていただけたらうれしいし、
腕まくりをして、がんばる。


でも、占いが人を癒す道具であるかどうかというと、微妙に違うと私は思う。

占いだから、

人を助けられるとか、
人を癒せるとか、

安直で不遜な考え方は、できる限りやめて欲しい。


それは、一般的にスピといわれる事をしている人たちも同じではないかと思う。

それをしたからといって、

相手が「癒された」と感じるかどうか、
その行為が「=癒し」であるかどうか。

考えてみると、実は「違うよね」と思えてくるものはとても多い。

選択した「それ」は、単なるツールにしか過ぎない。


それを使って、「癒したい」という志は大変高尚なんだろうよ、と思う。


だったら、技術だけではなく。
心や気持ちはとても大切。

考えれば考えるほど、「癒したい」なんて、思えなくなる。
それが実に不遜な言葉だと気づいてくる筈だから。


第三者は発破にしかなりえない。

「助けたい」

とんでもねーわ。


第三者は、発破しか投げられない。
第三者は、ご提案しかできない。


どんなにつらい状況も、結局潜り抜けていくのは、相談者自身。


「ありがとう」


と、言っていただくと、すごく嬉しいけど身が引き締まる。

ただ、発破を狙って占いを使って言葉をつむぎ続け、
作戦のご提案をしたに過ぎない私に、


礼を言える、その心。


頭が下がる。