名古屋で占いをしている比良井しほりです。
対面鑑定
メール鑑定……
県外時々出張したり
冊子に寄稿していたり
占い講師していたり
企業さんでセミナーさせていただいたり
占いコンテンツ監修させていただいたりしております。
私はよく「占いは友達だから」という表現をするわけですが
……そういえば。
どこぞの少年の有名なセリフがありますね。
「ボールはともだち。こわくないよ」
あの少年は大人になって今や日本代表という噂ですが、あまり詳しく読んでいなくてすみません。
まぁ、そういう域に入るっていわゆる「変態」というものだと思うのですが
こういう変態の領域に入るきっかけが実は地味にあったのですね。
とっても些細で地味なきっかけのお話を今回していこうかなぁなんて思います。
私が占いに触れたのは……たぶん皆さんと同じく小さいころから
テレビで見たり
冊子で見たり
毎日、毎週、毎月、毎年のタイミングで占いにまつわる何かを見ていたのですが
当時の私は「ふぅん」でした。
「好きの反対」は「無関心」なんて言いますよね?
「占い」という言葉に、特に何の反応もせず
「占いってさ・・・」と語ることも思い浮かばないほど
「特に何も思わない」という、最も無関心な場所に居た人だと思います。
テレビで手相が放映されたら、小さいころながらテレビの画像と見比べてみたりするけれど
翌日にはすっかり忘れている
一般的な子だったんですよね。
それと同時に、我が家の親は少し変わっていました。
親御さんがお子さんによく「こうあってほしい。こうなってほしい」と願いを込めて買ってくれたりするものってあって、
それは子供にとっては興味が沸かなければやらないわけで
なんてことはどこの家庭でもあると思うのですが
当然我が家もあったのですが
それと同時に
私の母は「今、自分がなんか興味を持ったんだけど、自分がやるのは面倒くさそうなもの」も
ちょっと買ってきて子供に渡すタイプだったりしました。
「ほら、これ面白そうだから買ってあげた」
みたいに渡される、ということがあったりしました。
欲しいと言ったことも、興味も無いものが与えられては
使われずタンスを育てる肥料となっていく様に親は「なんでやらないんだ!」と憤っていたのですが
だってやりたくないし。
興味もないし。
ですわね。
そんな中の一つというスタンスで、
占いがまったく興味無かった私のもとへ
「最近流行らしいよ」
と、何故かタロットのフルデッキがやってきたのです。
何で買って来たんだろ?
これ、何?
と思ったのは覚えています。
中学一年の頃でした。
渡されたものは開封せずに放置することは無かったので
一旦開封し
訳も解らず一旦使う。
ということはしていたのですが
タロットだけは、「なんだ? これ、面白くない?」でした。
母が買ってきたのはウェイト・スミス タロットだったので、セットの解説書はとても簡素なものでした。
(何でこのタロットになったのかというと、けして「メジャーそうだから」という理由で買う母ではないので、曰はく「絵が一番よかった」のだそうです。他にどんなタロットが並ぶところで選んできたのかが解りかねますが、パメラ(絵担当さん)の歴史も考えると、私の母が何故これをいいと言ったのかも何となくひも解けて、なんだか不思議な縁ですね)
読むことの面白さとファンタジックな世界観が好きだった私は
「もう少し知りたい」と思う様になったのですね。
当時13歳だった私にとって、普段手にすることの出来ない情報の在処は地元の図書館でした。
地下鉄にして二駅と少しくらいのところを、立ち漕ぎしながらブイブイと向かうわけです。
(自転車ってどうして立ち漕ぎしたくなるんでしょうね? いまだに、ヒールを履いていなければ立ち漕ぎしたくなってしまう衝動が襲ってくるので、立ち漕ぎます)
地元の図書館に置かれている占いの、タロットの書籍は選べるほど置かれておらず
2,3冊だったと思います。
当然お取り寄せ機能が図書館にはあるのですが
インターネットは既にあったのかもしれませんが我が家には無く
(算数の計算をしないでくださいね。占い師になると時を越えられるので現在25歳を行ったり来たりです)
そもそも情報が無いから「何を取り寄せていいのかすらわからない」という状態だったのです。
ただ、目に入ったものを片っ端から手を出す。
という状態です。
かつ、その図書館にあるものが検索出来たりする便利機能も当時は設置されていなかった気がした……
あったのだと思うのですが、たぶん紙面的なものでの検索か
係りの人に訊くとかそんなだったと思うので
「その日棚に並んでいたものがすべて」
という感覚でした。
コピーをするのは、中学生にとっては勿体なくて出来なくて……
だって、実際欲しいページを数えると結構な金額になってしまうのです。
であれば、とノートに書き写したりしていました。
今もそういうことが書いてあるのかもしれませんが
当時私が最初に読んでいた書籍には
「初心者は78枚ではなく、22枚で占え」
ということが書いてありました。
22枚にすることで「覚えることを減らす」ということなんだと思うのですよね。
逆にそれはそれでの難しさやハードルもあるのですが
なので、エレメントカードは最初に覚えることをもっと少なくして
けれども裏にきちんと思想を入れて
ロジックがあって
より早く次のフェーズに行けるように作ってあったりします。
って余談でした。
純粋無垢だった13歳の私は
「そうか。初心者は22枚で占うべきものなのか」
という理解をします。
家に帰って早速78枚から22枚を抜き出して
3回くらい占ったところで
貧乏性なんでしょうかね。
「最終的に78枚で占うのに、22枚だけ摩耗していくのってすごい嫌」
だったんですよね。
使い方が違っていて、22枚と56枚を別個で使い分けていくというなら、22枚だけ摩耗しても、56枚だけ摩耗しても気にならなかったと思うのですが
78枚併せて占う様になるという先があったときに
22枚だけヘタヘタで56枚はまっぴんぴんとか、すごく嫌だったんです。
「買うか。仕方ない。なんか本には普通に本屋で売ってるみたいに書いてあったけど」
と、またチャリを飛ばして地元の本屋さんに向かい
その時初めて本屋さんの「占いコーナー」を探すことになったわけです。
ふつうに売っとる。
解説書本がセットになった22枚カード付きの
今私がよく「ブックセットもの」と勝手に呼んでいるスタイルのものは置いてあったんですね。
ちなみに、当時のお小遣いは700円でした。
お年玉は「両親が管理システム」だったので、なかなかボーナス的なものを手にするのが難しく
基本700円というものをやりくりせねばなりませんでした。
なので、即買うことはできませんでした。
地元の本屋さんを3軒くらいまわり
被って置いてあるものも、被って置いてないものもあって
その中で中を見て、絵柄や構図とお値段との吟味に吟味を重ねました。
この時の「構図」というのは
ウェイト・スミス タロットパックを最初に手にしていたのと
ウェイト・スミス タロットはタロット書籍でよく見かけるものだったので
まずは、「22枚だけ摩耗するのが嫌」という理由で買うのだから、この構図に準じた形のものを買った方が良いだろうという13歳ながらの考え方でした。
本屋でウンコ座りをしながら、もうどれだけ悩んだのかわかりませんが
やたら近くに来て無駄に本の整理をする店員さんの圧に屈することなく
ものすごい迷惑に他のお客様の動線は邪魔しないように、ひたすらに手にして固まって迷い続けていました。
こうして初めて自分でタロットを買ったのでした。
中では構図が割と準じているなと感じたことと
お値段が手を出しやすかった……
22枚で2000円しなかった気がします。
それでも!
それでも、私にとっては高額商品でした。
月々700円ですよ。
漫画も買わなくちゃいけないんですよ!(をぃ)
断腸の想いでした。
占われるという事を本格的にされたことが無いまま
占いってどんなものなんだ?
というものをタロットの面白さに触れながら手さぐりに進んで行くような感じでした。
まだ異国の言葉を辞書を片手に片言で理解しながら対応していくみたいな読み方でしたが
それでも、楽しかったです。
当時「占いとは、こういうものではないのか?」みたいな浅い持論をノートに書きなぐって練りこんでみたりしていた
様子のおかしい子でしたね。
「哲学」というものをもっと解りやすくこのころ与えられていたのであれば、また違った練りこみをしていたのかもしれませんが
「占いとは何だ?」
「占うとはどういう意味があるのか?」
「人とは?」
「人生とは?」
ということを、ただ思いつくまま闇雲に自分が思ったことを書き綴り
それを見直してはまた考えてみたりするという、いや、本当に様子のおかしい子供だったのでしょう。
余談ですが、
時々「比良井さんみたいになりたいです」
と、とても嬉しくて有り難い言葉を言っていただけることがあるのですが
この様子のおかしさを自分で把握しているので、自分としては結構楽しくやっているつもりなんだけれども、ちょっと様子はおかしくなるのでお勧めはそんなにしないけどなぁ……
とか思ったりします。
余談でした。
それから、本屋に立ち寄るとまずは好きな漫画コーナーに立ち寄って
その後は占いコーナーを見る。
という習慣になりました。
で、
見ちゃうと欲しくなる「新しいタロット。絵が素敵」。
それは構図はウェイト・スミス タロットとはかけ離れており
まぁものすごく独自の絵柄でしたし
解る方にはわかる説明ですと、小アルカナは数札になっていました。
でも、絵柄が本当に素敵だったのです。
欲しい!
でも、
2000円ちょっとするんですよ。
年々お小遣いは上がり、中学3年で1000円もらえていたかな? くらいです。
料金的な問題もあったのではあるのですが
この時ふとある疑問が浮かぶんです。
その当時読んでいた地元図書館情報の書籍では
「タロットは生きているのです」
「神秘的にちゃんと扱って」
「無下にすると呪われる」
そんなことが書いてあった気がするのですが
ふと
そういえば、22枚だけ摩耗するのが嫌で22枚ものを買い足してしまったのだけれど
これで更に78枚のものを買うことは、いいんだろうか?
タロットは一体何デッキまで持っても問題が無いのだろうか?
と、「扱い方セオリー」が解らなくて
焦りました。
3デッキ目、ですね。
今、書いてあるものがあるのかは解りかねますが
当時は図書館で調べても出てはこなかったし
インターネットは使えなかったし、存在も知らなかった頃でした。
誰に質問していいのかすら解らなくて
ものすごく悩んだんですよね。
でも、すごく欲しくて素敵なタロット。
どうしよう!?
どうしようもなく困ったので、「考える」というところに立たされるんですよね。
導き出した答えは
「なんだ。訊けばいいんだよ」
でした。
光が差して感じた瞬間でした。
例えばこれが動物であったとする場合でも、
解ることは調べるけれど、解らなければ向き合って様子を見ながら進んで行くわけで
幸い、タロットは
「わん」とか「にゃあ」でもなく、一応日本語対応してくれている。
「当人無視して他に訊くとか、なんだかおかしいことをしていたのね、私。無視された方もかわいそうだ」
と、なんだか妙にスッとこれが入ってきて
早速家に帰って質問をしていました。
この時の質問が
「私は買うべきか否か」
ではなく
「私は新しくタロットを買いたいけれど、あなたはどう思う?」
という、完全にタロットを擬人化した質問形式でした。
その人たちが怒らないなら、別にいいんじゃないのかなってことに当時落ち着いたんですよね。
まだ、この時は
「悪いカードは出なかった」という状態で買ったのですが
これをきっかけに、
「雑談」ということをするようになったと思います。
高校生の頃にはもう少し生々しい声が聞こえるようになってきて
新たに買い足す5デッキ目とか
「いいね! 買いなよ」
「別にいいけど」
「ぞんざいに私を扱わないでね」
「どうせ買うんでしょ? 自分で決めてるくせに愚問だな」
それぞれの個性で答えてくれるようになってきて、いよいよ変態の入り口に立ったんですね。
タロットデッキは保存用も増えてしまって
今ではもう全員に質問するなんてことは出来ませんが
この切っ掛けが
「対話をする」という切っ掛けになっていきました。
当然、鑑定をする時にはきちんと鑑定なので、読んでいくのですが
雑談の場合は雑談が出来るようになりました。
ちょっと例としていいのか解らないのですが
話を変えて、盲導犬って居ますね。
とっても優秀な尊敬するワンちゃんです。
ハーネスというものを付けると、あの子たちは「仕事」と認識し
無駄に吠えないし、トイレも行きません。
でも、ハーネスを外すと普通のワンちゃんに戻って
甘えるし、机の上に置いてあった果物を目を離したすきに食べて怒られてしょんぼりしたりします。
占いも同じで、「パリッと意見をくれ!」という時はグダグダできませんし
向こうもグダグダしません。
しかし、グダグダして質問すると、グダグダ返してくれます。
易のある卦辞の一部で
「初筮(ぜい)は告ぐ。
再三すれば?(みだ)る。
?るれば則ち告げず。
貞に利し」
というものがあります。
最初の答えが一番だ。
いくら気に食わないからと言って2度も3度も占うと、結果が上手く受け取れなくて余計混乱してくる。
もう、2,3やっちゃったし、よく解らない! となったんだったら、もうおとなしく「正しい」人の道を守れ。
みたいな感じでしょうか。
タロットも「同じ質問は控えましょう」と書いてあったりしますね。
「きちんと鑑定をする」場合はそうなんです。
私も「きちんと自占するぞ」って時は、再三しません。
でも、雑談の時は私は平気で同じ質問を繰り返します。
雑談なんで。
友達との会話ってそうじゃないですか?
「ねぇ、ねぇ。今回のテストうまく行くかなぁ」
「今回のちょっと難しかったよね? でも、勉強したじゃん」
「そうだけど、ちょっと今回は成績とっておかなきゃダメなんだよね」
「そうなんだ〜」
「いい点とれているといいんだけど」
「そうだね。でも、勉強してたからなんとかなるんじゃない?」
「でも、ちょっと今回は今までの傾向とちょっと違ったし、対策しきれなかった気もして」
「まぁ、そうだねぇ」
「いい点とれてるかなぁ」
という、こういうループな会話。
で、友達が「大丈夫」と語気を強めたら面倒くさくなったのかなと察する、みたいな。
占いでも
「しつこい」
とか言われることはありますが、
その時は「ちぇー」って引き下がります。
グダグダした雑談は再三しまくる。
よく「道具はどのくらいで廃棄していいんですか?」と質問を受けるのですが
こんな私になったので
ずいぶんと使いにくいなぁと感じたら、廃棄でいいけれど
気になるのであれば道具に訊いてあげたらいいじゃない?
と思います。
中学生で初めて購入した思い入れのある22枚のタロットは
摩耗しヘタヘタになった頃に
「お前さん、どうしたい?」
と、質問をしてみました。
そうすると
『もう鑑定する元気はないんだけど、まだ傍に居たいんだ。時々触って』
と答えられたので
「じゃ、お守りにするわ」
と、箱を捨てて小さな袋に入れてお守りの様に持ち歩き
時々雑談をして
一定期間過ぎたころにもう一度質問したら
『もういいよ。ありがと』
と、言われたので、私に出来る限りの望まれた処置でバイバイしました。
「ありがとね。ばいばい」
さて。
「言うても印刷会社でガチャガチャ機械的に印刷されている無機質のソレが何か宿っているとかおかしくない?」
というご質問も、すごくよく解る気がするんですが
ここもまた様々なご意見があるかとは思いますが
私も生まれた時はまっさらさらなんじゃないかと思っています。
ただ、人に触られるごとに
鑑定に使うごとに
色んなものを受け取って性質を持っていくんじゃないかなぁなんて思います。
付喪神って言葉もあるしね。
これは占いの道具に限らず
全てのものが、何か宿っていくんじゃないかなぁなんて思ったりします。
耳を傾けたら、きちんと声が出てくるんじゃないかなって思うんですよね。
スペックが低くても、愛でたパソコンは結構持ってくれたり
頑張ってくれていたり(無理させすぎると人と同じように突如倒れるんだけどね)
ちょっと構わないとそれまで出来たことを全然してくれなくて、まるで他人の顔を見せる感じというか……
(使っていただけの通電がとか、理屈もあるのだとは思うのですけどね。でも、愛した分だけ道具はちゃんと答えてくれている気がするんですよね)
なので、当然当人の了承も無く占いの道具をベタベタ触るのはあんまり好きではありません。
(占いに限らず、愛着があるだろうものはベタベタ触っては失礼でしょう? 逆の立場で、愛する道具はベタベタ触られたくないと思われる方が多いんではないかと思います。
愛するパソコン、愛する自転車、愛するバイク、愛する車……了承を得て、愛の注がれたその子に触れるのは礼儀かと)
が
中古を買うのにそれほどの抵抗感を持っていなかったりします。
なんだろう。
「目が合った瞬間がお互いの運の尽き」
みたいな。
会話すればいいんだし、と思って。
持ち主との関係性は、売りに出したり譲ろうとされたりした時点で持ち主側の気持ちは切れていたりしますし
使い込まれていたりすると、持ち主は割り切っても道具側が割り切れていないことがある……これは「前の持ち主の癖が残る」というやつですね。
中古車なんかはそんなこと言われると思うのですが、本来それすらも愛して使ってあげたいと思って目が合ったら運の尽きで、迎え入れるのです。
使用感が少ないものも多くありますよね?
買ってそれほど扱われることなく、本棚に保管されていて
そのまま売られてしまった子は、新品ほどではないにしても素直だったりします。
(ちなみに、新品でも経緯によっては何かを持っていることもあったりすると、私は思っています)
使用感バリバリの子を、1年近く前になるんでしょうか?
初めて迎えた時には、結構暴れん坊でしたが
今では元気に一緒に仕事してくれています。
最近のお話ですが
実は実家にも一つデッキが置かれています。
私が置いたわけではなくて、
私が占い師になってから母は「占い」というキーワードに若干敏感になったみたいです。
また、母は本が好きなので、古本屋さんのセール日とか足を運んだりする人です。
その際に、「娘が占い師だし」と占いコーナーの方も見たりすることがあるみたいで
また、これが彼女が気に入ったタロットと出会ってしまったのでしょうね。
中古で安いし、素敵な絵柄だし、娘は占い師だから使うだろう。
と、買ってきた。
実は既に私が所持しているデッキだったのですが
「実家に持ってくるのが面倒だろうから、実家に来るときに使えばいい」
ということで。
いや、まぁそういう事でも実は無かったりも本来するんですが
仕事の予定があった上で実家に行く時には
パソコンも占い道具も持って行くし
ということをしていたのですが
それでもこういう仕事、「急きょ」の時があったりするんですよね。
そんな時に、もうどうにもならずに実家に置いてあったその子に頼ることになりました。
最初は戸惑いを見せたその子でしたが
ちゃんと素直に対応をしてくれました。
あ。
この子、暴れず対応してくれる。
そういう体感から、
急きょという時は頼るようになったのですが……
人間って欲深いですよね。
ある日「私のこと、好き?」
と、実家に置かれたタロットに質問をしてみました。
すると、好きとか嫌いよりも先に
『あなたは、いなくなる人だから』
と、言われてしまいました。
都合勝手に協力してもらっているのに、都合勝手に「好き?」とか質問した私って
人って本当に身勝手ね。
と、なんだか深く考えさせられました。
気づかずにそんなことを他でもしていないかしら?
雑談の中で、時々色々深く考えさせられることもあったりするんです。
そんな風に
それぞれ独立した人格を持った友達だったりします。
新しく覚える占いは、まだ性格まで把握出来ない
言葉を交わすのが精いっぱいの異国の言葉を話す友達というイメージで
仲良くなって、言葉が理解できると人となりが出てくると思っていて
私はいつも。
友達のことを紹介したいと思っているし
友達と一緒にお客様のご相談に向き合っていると思っているし
そして、多くの方にも
この常に傍らに居る友達というものを
プロにならないのであれば増やさなくていいのですが、一人、二人、居てくれたら
本当に24時間対応してくれる心強い味方でもあるので
是非、手にしてほしいなって思ています。
占いを覚えることも
本来はストイックにやることを推奨はしませんが
楽しんでいただけたら嬉しいなって思うのです。
友達の言葉が徐々に把握できて、生々しく声が聞こえてきたら
もう、本当に楽しくなってしまいますから。
★☆★☆★shihori★☆★☆★
Follow @hirai_shihori
Tweet
Twitter@hirai_shihori
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
今年2018年10月16日19時〜
占い+αのスクール グロリオーサさんで
伊泉龍一先生による2回で本格的に手相を学ぶ
〜西洋占星術との関連で手に秘められた象徴を読み解く〜第1回が開催されます。
ご興味のある方は↑↑クリック
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
↓↓↓↓↓お得な情報満載の不定期メルマガ!↓↓↓↓↓
姓名東洋数秘術とは?
☆☆☆個別鑑定は完全予約となっております☆☆☆
→♪♫対面鑑定問い合わせ♫♪
。・:*:・°'★,。・:*:♪・°'☆。・:*:・°'★,。・:*:♪・°'☆
比良井しほり製作の占いカード! Element Card絶賛発売中!
カードお申し込みの方はsilverのみ、goldのみ、両方を選択してお申し込みください。
→■Element Card購入お申し込み■
。・:*:・°'★,。・:*:♪・°'☆。・:*:・°'★,。・:*:♪・°'☆
監修させていただいたアプリです。
心から感謝。
ブログランキングに参加しています♪
ぽちっとして、応援してくださいね(^.^)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
対面鑑定
メール鑑定……
県外時々出張したり
冊子に寄稿していたり
占い講師していたり
企業さんでセミナーさせていただいたり
占いコンテンツ監修させていただいたりしております。
私はよく「占いは友達だから」という表現をするわけですが
……そういえば。
どこぞの少年の有名なセリフがありますね。
「ボールはともだち。こわくないよ」
あの少年は大人になって今や日本代表という噂ですが、あまり詳しく読んでいなくてすみません。
まぁ、そういう域に入るっていわゆる「変態」というものだと思うのですが
こういう変態の領域に入るきっかけが実は地味にあったのですね。
とっても些細で地味なきっかけのお話を今回していこうかなぁなんて思います。
私が占いに触れたのは……たぶん皆さんと同じく小さいころから
テレビで見たり
冊子で見たり
毎日、毎週、毎月、毎年のタイミングで占いにまつわる何かを見ていたのですが
当時の私は「ふぅん」でした。
「好きの反対」は「無関心」なんて言いますよね?
「占い」という言葉に、特に何の反応もせず
「占いってさ・・・」と語ることも思い浮かばないほど
「特に何も思わない」という、最も無関心な場所に居た人だと思います。
テレビで手相が放映されたら、小さいころながらテレビの画像と見比べてみたりするけれど
翌日にはすっかり忘れている
一般的な子だったんですよね。
それと同時に、我が家の親は少し変わっていました。
親御さんがお子さんによく「こうあってほしい。こうなってほしい」と願いを込めて買ってくれたりするものってあって、
それは子供にとっては興味が沸かなければやらないわけで
なんてことはどこの家庭でもあると思うのですが
当然我が家もあったのですが
それと同時に
私の母は「今、自分がなんか興味を持ったんだけど、自分がやるのは面倒くさそうなもの」も
ちょっと買ってきて子供に渡すタイプだったりしました。
「ほら、これ面白そうだから買ってあげた」
みたいに渡される、ということがあったりしました。
欲しいと言ったことも、興味も無いものが与えられては
使われずタンスを育てる肥料となっていく様に親は「なんでやらないんだ!」と憤っていたのですが
だってやりたくないし。
興味もないし。
ですわね。
そんな中の一つというスタンスで、
占いがまったく興味無かった私のもとへ
「最近流行らしいよ」
と、何故かタロットのフルデッキがやってきたのです。
何で買って来たんだろ?
これ、何?
と思ったのは覚えています。
中学一年の頃でした。
渡されたものは開封せずに放置することは無かったので
一旦開封し
訳も解らず一旦使う。
ということはしていたのですが
タロットだけは、「なんだ? これ、面白くない?」でした。
母が買ってきたのはウェイト・スミス タロットだったので、セットの解説書はとても簡素なものでした。
(何でこのタロットになったのかというと、けして「メジャーそうだから」という理由で買う母ではないので、曰はく「絵が一番よかった」のだそうです。他にどんなタロットが並ぶところで選んできたのかが解りかねますが、パメラ(絵担当さん)の歴史も考えると、私の母が何故これをいいと言ったのかも何となくひも解けて、なんだか不思議な縁ですね)
読むことの面白さとファンタジックな世界観が好きだった私は
「もう少し知りたい」と思う様になったのですね。
当時13歳だった私にとって、普段手にすることの出来ない情報の在処は地元の図書館でした。
地下鉄にして二駅と少しくらいのところを、立ち漕ぎしながらブイブイと向かうわけです。
(自転車ってどうして立ち漕ぎしたくなるんでしょうね? いまだに、ヒールを履いていなければ立ち漕ぎしたくなってしまう衝動が襲ってくるので、立ち漕ぎます)
地元の図書館に置かれている占いの、タロットの書籍は選べるほど置かれておらず
2,3冊だったと思います。
当然お取り寄せ機能が図書館にはあるのですが
インターネットは既にあったのかもしれませんが我が家には無く
(算数の計算をしないでくださいね。占い師になると時を越えられるので現在25歳を行ったり来たりです)
そもそも情報が無いから「何を取り寄せていいのかすらわからない」という状態だったのです。
ただ、目に入ったものを片っ端から手を出す。
という状態です。
かつ、その図書館にあるものが検索出来たりする便利機能も当時は設置されていなかった気がした……
あったのだと思うのですが、たぶん紙面的なものでの検索か
係りの人に訊くとかそんなだったと思うので
「その日棚に並んでいたものがすべて」
という感覚でした。
コピーをするのは、中学生にとっては勿体なくて出来なくて……
だって、実際欲しいページを数えると結構な金額になってしまうのです。
であれば、とノートに書き写したりしていました。
今もそういうことが書いてあるのかもしれませんが
当時私が最初に読んでいた書籍には
「初心者は78枚ではなく、22枚で占え」
ということが書いてありました。
22枚にすることで「覚えることを減らす」ということなんだと思うのですよね。
逆にそれはそれでの難しさやハードルもあるのですが
なので、エレメントカードは最初に覚えることをもっと少なくして
けれども裏にきちんと思想を入れて
ロジックがあって
より早く次のフェーズに行けるように作ってあったりします。
って余談でした。
純粋無垢だった13歳の私は
「そうか。初心者は22枚で占うべきものなのか」
という理解をします。
家に帰って早速78枚から22枚を抜き出して
3回くらい占ったところで
貧乏性なんでしょうかね。
「最終的に78枚で占うのに、22枚だけ摩耗していくのってすごい嫌」
だったんですよね。
使い方が違っていて、22枚と56枚を別個で使い分けていくというなら、22枚だけ摩耗しても、56枚だけ摩耗しても気にならなかったと思うのですが
78枚併せて占う様になるという先があったときに
22枚だけヘタヘタで56枚はまっぴんぴんとか、すごく嫌だったんです。
「買うか。仕方ない。なんか本には普通に本屋で売ってるみたいに書いてあったけど」
と、またチャリを飛ばして地元の本屋さんに向かい
その時初めて本屋さんの「占いコーナー」を探すことになったわけです。
ふつうに売っとる。
解説書本がセットになった22枚カード付きの
今私がよく「ブックセットもの」と勝手に呼んでいるスタイルのものは置いてあったんですね。
ちなみに、当時のお小遣いは700円でした。
お年玉は「両親が管理システム」だったので、なかなかボーナス的なものを手にするのが難しく
基本700円というものをやりくりせねばなりませんでした。
なので、即買うことはできませんでした。
地元の本屋さんを3軒くらいまわり
被って置いてあるものも、被って置いてないものもあって
その中で中を見て、絵柄や構図とお値段との吟味に吟味を重ねました。
この時の「構図」というのは
ウェイト・スミス タロットパックを最初に手にしていたのと
ウェイト・スミス タロットはタロット書籍でよく見かけるものだったので
まずは、「22枚だけ摩耗するのが嫌」という理由で買うのだから、この構図に準じた形のものを買った方が良いだろうという13歳ながらの考え方でした。
本屋でウンコ座りをしながら、もうどれだけ悩んだのかわかりませんが
やたら近くに来て無駄に本の整理をする店員さんの圧に屈することなく
ものすごい迷惑に他のお客様の動線は邪魔しないように、ひたすらに手にして固まって迷い続けていました。
こうして初めて自分でタロットを買ったのでした。
中では構図が割と準じているなと感じたことと
お値段が手を出しやすかった……
22枚で2000円しなかった気がします。
それでも!
それでも、私にとっては高額商品でした。
月々700円ですよ。
漫画も買わなくちゃいけないんですよ!(をぃ)
断腸の想いでした。
占われるという事を本格的にされたことが無いまま
占いってどんなものなんだ?
というものをタロットの面白さに触れながら手さぐりに進んで行くような感じでした。
まだ異国の言葉を辞書を片手に片言で理解しながら対応していくみたいな読み方でしたが
それでも、楽しかったです。
当時「占いとは、こういうものではないのか?」みたいな浅い持論をノートに書きなぐって練りこんでみたりしていた
様子のおかしい子でしたね。
「哲学」というものをもっと解りやすくこのころ与えられていたのであれば、また違った練りこみをしていたのかもしれませんが
「占いとは何だ?」
「占うとはどういう意味があるのか?」
「人とは?」
「人生とは?」
ということを、ただ思いつくまま闇雲に自分が思ったことを書き綴り
それを見直してはまた考えてみたりするという、いや、本当に様子のおかしい子供だったのでしょう。
余談ですが、
時々「比良井さんみたいになりたいです」
と、とても嬉しくて有り難い言葉を言っていただけることがあるのですが
この様子のおかしさを自分で把握しているので、自分としては結構楽しくやっているつもりなんだけれども、ちょっと様子はおかしくなるのでお勧めはそんなにしないけどなぁ……
とか思ったりします。
余談でした。
それから、本屋に立ち寄るとまずは好きな漫画コーナーに立ち寄って
その後は占いコーナーを見る。
という習慣になりました。
で、
見ちゃうと欲しくなる「新しいタロット。絵が素敵」。
それは構図はウェイト・スミス タロットとはかけ離れており
まぁものすごく独自の絵柄でしたし
解る方にはわかる説明ですと、小アルカナは数札になっていました。
でも、絵柄が本当に素敵だったのです。
欲しい!
でも、
2000円ちょっとするんですよ。
年々お小遣いは上がり、中学3年で1000円もらえていたかな? くらいです。
料金的な問題もあったのではあるのですが
この時ふとある疑問が浮かぶんです。
その当時読んでいた地元図書館情報の書籍では
「タロットは生きているのです」
「神秘的にちゃんと扱って」
「無下にすると呪われる」
そんなことが書いてあった気がするのですが
ふと
そういえば、22枚だけ摩耗するのが嫌で22枚ものを買い足してしまったのだけれど
これで更に78枚のものを買うことは、いいんだろうか?
タロットは一体何デッキまで持っても問題が無いのだろうか?
と、「扱い方セオリー」が解らなくて
焦りました。
3デッキ目、ですね。
今、書いてあるものがあるのかは解りかねますが
当時は図書館で調べても出てはこなかったし
インターネットは使えなかったし、存在も知らなかった頃でした。
誰に質問していいのかすら解らなくて
ものすごく悩んだんですよね。
でも、すごく欲しくて素敵なタロット。
どうしよう!?
どうしようもなく困ったので、「考える」というところに立たされるんですよね。
導き出した答えは
「なんだ。訊けばいいんだよ」
でした。
光が差して感じた瞬間でした。
例えばこれが動物であったとする場合でも、
解ることは調べるけれど、解らなければ向き合って様子を見ながら進んで行くわけで
幸い、タロットは
「わん」とか「にゃあ」でもなく、一応日本語対応してくれている。
「当人無視して他に訊くとか、なんだかおかしいことをしていたのね、私。無視された方もかわいそうだ」
と、なんだか妙にスッとこれが入ってきて
早速家に帰って質問をしていました。
この時の質問が
「私は買うべきか否か」
ではなく
「私は新しくタロットを買いたいけれど、あなたはどう思う?」
という、完全にタロットを擬人化した質問形式でした。
その人たちが怒らないなら、別にいいんじゃないのかなってことに当時落ち着いたんですよね。
まだ、この時は
「悪いカードは出なかった」という状態で買ったのですが
これをきっかけに、
「雑談」ということをするようになったと思います。
高校生の頃にはもう少し生々しい声が聞こえるようになってきて
新たに買い足す5デッキ目とか
「いいね! 買いなよ」
「別にいいけど」
「ぞんざいに私を扱わないでね」
「どうせ買うんでしょ? 自分で決めてるくせに愚問だな」
それぞれの個性で答えてくれるようになってきて、いよいよ変態の入り口に立ったんですね。
タロットデッキは保存用も増えてしまって
今ではもう全員に質問するなんてことは出来ませんが
この切っ掛けが
「対話をする」という切っ掛けになっていきました。
当然、鑑定をする時にはきちんと鑑定なので、読んでいくのですが
雑談の場合は雑談が出来るようになりました。
ちょっと例としていいのか解らないのですが
話を変えて、盲導犬って居ますね。
とっても優秀な尊敬するワンちゃんです。
ハーネスというものを付けると、あの子たちは「仕事」と認識し
無駄に吠えないし、トイレも行きません。
でも、ハーネスを外すと普通のワンちゃんに戻って
甘えるし、机の上に置いてあった果物を目を離したすきに食べて怒られてしょんぼりしたりします。
占いも同じで、「パリッと意見をくれ!」という時はグダグダできませんし
向こうもグダグダしません。
しかし、グダグダして質問すると、グダグダ返してくれます。
易のある卦辞の一部で
「初筮(ぜい)は告ぐ。
再三すれば?(みだ)る。
?るれば則ち告げず。
貞に利し」
というものがあります。
最初の答えが一番だ。
いくら気に食わないからと言って2度も3度も占うと、結果が上手く受け取れなくて余計混乱してくる。
もう、2,3やっちゃったし、よく解らない! となったんだったら、もうおとなしく「正しい」人の道を守れ。
みたいな感じでしょうか。
タロットも「同じ質問は控えましょう」と書いてあったりしますね。
「きちんと鑑定をする」場合はそうなんです。
私も「きちんと自占するぞ」って時は、再三しません。
でも、雑談の時は私は平気で同じ質問を繰り返します。
雑談なんで。
友達との会話ってそうじゃないですか?
「ねぇ、ねぇ。今回のテストうまく行くかなぁ」
「今回のちょっと難しかったよね? でも、勉強したじゃん」
「そうだけど、ちょっと今回は成績とっておかなきゃダメなんだよね」
「そうなんだ〜」
「いい点とれているといいんだけど」
「そうだね。でも、勉強してたからなんとかなるんじゃない?」
「でも、ちょっと今回は今までの傾向とちょっと違ったし、対策しきれなかった気もして」
「まぁ、そうだねぇ」
「いい点とれてるかなぁ」
という、こういうループな会話。
で、友達が「大丈夫」と語気を強めたら面倒くさくなったのかなと察する、みたいな。
占いでも
「しつこい」
とか言われることはありますが、
その時は「ちぇー」って引き下がります。
グダグダした雑談は再三しまくる。
よく「道具はどのくらいで廃棄していいんですか?」と質問を受けるのですが
こんな私になったので
ずいぶんと使いにくいなぁと感じたら、廃棄でいいけれど
気になるのであれば道具に訊いてあげたらいいじゃない?
と思います。
中学生で初めて購入した思い入れのある22枚のタロットは
摩耗しヘタヘタになった頃に
「お前さん、どうしたい?」
と、質問をしてみました。
そうすると
『もう鑑定する元気はないんだけど、まだ傍に居たいんだ。時々触って』
と答えられたので
「じゃ、お守りにするわ」
と、箱を捨てて小さな袋に入れてお守りの様に持ち歩き
時々雑談をして
一定期間過ぎたころにもう一度質問したら
『もういいよ。ありがと』
と、言われたので、私に出来る限りの望まれた処置でバイバイしました。
「ありがとね。ばいばい」
さて。
「言うても印刷会社でガチャガチャ機械的に印刷されている無機質のソレが何か宿っているとかおかしくない?」
というご質問も、すごくよく解る気がするんですが
ここもまた様々なご意見があるかとは思いますが
私も生まれた時はまっさらさらなんじゃないかと思っています。
ただ、人に触られるごとに
鑑定に使うごとに
色んなものを受け取って性質を持っていくんじゃないかなぁなんて思います。
付喪神って言葉もあるしね。
これは占いの道具に限らず
全てのものが、何か宿っていくんじゃないかなぁなんて思ったりします。
耳を傾けたら、きちんと声が出てくるんじゃないかなって思うんですよね。
スペックが低くても、愛でたパソコンは結構持ってくれたり
頑張ってくれていたり(無理させすぎると人と同じように突如倒れるんだけどね)
ちょっと構わないとそれまで出来たことを全然してくれなくて、まるで他人の顔を見せる感じというか……
(使っていただけの通電がとか、理屈もあるのだとは思うのですけどね。でも、愛した分だけ道具はちゃんと答えてくれている気がするんですよね)
なので、当然当人の了承も無く占いの道具をベタベタ触るのはあんまり好きではありません。
(占いに限らず、愛着があるだろうものはベタベタ触っては失礼でしょう? 逆の立場で、愛する道具はベタベタ触られたくないと思われる方が多いんではないかと思います。
愛するパソコン、愛する自転車、愛するバイク、愛する車……了承を得て、愛の注がれたその子に触れるのは礼儀かと)
が
中古を買うのにそれほどの抵抗感を持っていなかったりします。
なんだろう。
「目が合った瞬間がお互いの運の尽き」
みたいな。
会話すればいいんだし、と思って。
持ち主との関係性は、売りに出したり譲ろうとされたりした時点で持ち主側の気持ちは切れていたりしますし
使い込まれていたりすると、持ち主は割り切っても道具側が割り切れていないことがある……これは「前の持ち主の癖が残る」というやつですね。
中古車なんかはそんなこと言われると思うのですが、本来それすらも愛して使ってあげたいと思って目が合ったら運の尽きで、迎え入れるのです。
使用感が少ないものも多くありますよね?
買ってそれほど扱われることなく、本棚に保管されていて
そのまま売られてしまった子は、新品ほどではないにしても素直だったりします。
(ちなみに、新品でも経緯によっては何かを持っていることもあったりすると、私は思っています)
使用感バリバリの子を、1年近く前になるんでしょうか?
初めて迎えた時には、結構暴れん坊でしたが
今では元気に一緒に仕事してくれています。
最近のお話ですが
実は実家にも一つデッキが置かれています。
私が置いたわけではなくて、
私が占い師になってから母は「占い」というキーワードに若干敏感になったみたいです。
また、母は本が好きなので、古本屋さんのセール日とか足を運んだりする人です。
その際に、「娘が占い師だし」と占いコーナーの方も見たりすることがあるみたいで
また、これが彼女が気に入ったタロットと出会ってしまったのでしょうね。
中古で安いし、素敵な絵柄だし、娘は占い師だから使うだろう。
と、買ってきた。
実は既に私が所持しているデッキだったのですが
「実家に持ってくるのが面倒だろうから、実家に来るときに使えばいい」
ということで。
いや、まぁそういう事でも実は無かったりも本来するんですが
仕事の予定があった上で実家に行く時には
パソコンも占い道具も持って行くし
ということをしていたのですが
それでもこういう仕事、「急きょ」の時があったりするんですよね。
そんな時に、もうどうにもならずに実家に置いてあったその子に頼ることになりました。
最初は戸惑いを見せたその子でしたが
ちゃんと素直に対応をしてくれました。
あ。
この子、暴れず対応してくれる。
そういう体感から、
急きょという時は頼るようになったのですが……
人間って欲深いですよね。
ある日「私のこと、好き?」
と、実家に置かれたタロットに質問をしてみました。
すると、好きとか嫌いよりも先に
『あなたは、いなくなる人だから』
と、言われてしまいました。
都合勝手に協力してもらっているのに、都合勝手に「好き?」とか質問した私って
人って本当に身勝手ね。
と、なんだか深く考えさせられました。
気づかずにそんなことを他でもしていないかしら?
雑談の中で、時々色々深く考えさせられることもあったりするんです。
そんな風に
それぞれ独立した人格を持った友達だったりします。
新しく覚える占いは、まだ性格まで把握出来ない
言葉を交わすのが精いっぱいの異国の言葉を話す友達というイメージで
仲良くなって、言葉が理解できると人となりが出てくると思っていて
私はいつも。
友達のことを紹介したいと思っているし
友達と一緒にお客様のご相談に向き合っていると思っているし
そして、多くの方にも
この常に傍らに居る友達というものを
プロにならないのであれば増やさなくていいのですが、一人、二人、居てくれたら
本当に24時間対応してくれる心強い味方でもあるので
是非、手にしてほしいなって思ています。
占いを覚えることも
本来はストイックにやることを推奨はしませんが
楽しんでいただけたら嬉しいなって思うのです。
友達の言葉が徐々に把握できて、生々しく声が聞こえてきたら
もう、本当に楽しくなってしまいますから。
★☆★☆★shihori★☆★☆★
Follow @hirai_shihori
Tweet
Twitter@hirai_shihori
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
今年2018年10月16日19時〜
占い+αのスクール グロリオーサさんで
伊泉龍一先生による2回で本格的に手相を学ぶ
〜西洋占星術との関連で手に秘められた象徴を読み解く〜第1回が開催されます。
ご興味のある方は↑↑クリック
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
↓↓↓↓↓お得な情報満載の不定期メルマガ!↓↓↓↓↓
姓名東洋数秘術とは?
☆☆☆個別鑑定は完全予約となっております☆☆☆
→♪♫対面鑑定問い合わせ♫♪
。・:*:・°'★,。・:*:♪・°'☆。・:*:・°'★,。・:*:♪・°'☆
比良井しほり製作の占いカード! Element Card絶賛発売中!
カードお申し込みの方はsilverのみ、goldのみ、両方を選択してお申し込みください。
→■Element Card購入お申し込み■
。・:*:・°'★,。・:*:♪・°'☆。・:*:・°'★,。・:*:♪・°'☆
|
監修させていただいたアプリです。
心から感謝。
ブログランキングに参加しています♪
ぽちっとして、応援してくださいね(^.^)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓